ドクターインタビュー

医師&医療経済ジャーナリスト 森田洋之先生インタビュー

このたびは医師であり、医療経済ジャーナリストとしてもご活躍中の森田洋之先生にインタビューをさせて頂きました。

私としては森田先生の著書を拝見していて、夕張のイメージが強かったのですが、離島医療の取材で、離島の研究会でご一緒させて頂いたのが初めての出会いになります。

それ以来、先生のフェイスブックやNOTEを拝見していて、医療を経済の視点から見るとこんなに景色が変わるんだなと学ばせて頂いております。

本来であれば、コロナ禍前に鹿児島でインタビューをさせて頂く予定でしたが、ずれこんで、今回、オンラインで取材をさせて頂く機会を頂きました。

それではインタビュー内容をどうぞ!!

一橋大学で経済学を学ばれていましたが、その後に宮崎大学医学部へ入られた経緯について教えてください。

それほど大それた理由はないのですが、一橋大学は卒業すると商社や銀行、官僚へ進む場合がほとんどです。つまり、大手企業や行政に所属するのですが、私は基本的にそれをしたくないと思っていました。

とにかく大きな組織には入りたくないという思いから就職せず、単位は全て取得していたものの、ずっと留年をしていました。そうしていた時に、医者になろうと思ったのです。

資格を取って絶対に医者になりたいというよりは、医者だったら格好がつくかなという気持ちでしたね。

医学部へ入学されることは、かなり大変だったのではないでしょうか。

当時は、社会人入試もあったのですが一般的ではなかったので、私は1年生から入り直しをしました。

受験勉強は得意で、本気でやれば何とかなるという自信はあったので私自身は全然ハードだとは思っていませんでした。もちろん、受験勉強は半年ほど死ぬ気でしましたが、一発で受かってしまいましたね。

入学して6年間勉強しなければいけないところ、ほとんど勉強はせずにバンド活動ばかりしていました。卒業試験の時でさえ、タワーレコードでツアーをしていましたから。

だから一度、国家試験も落ちてしまいました。翌年はそれまでの6年分、しっかりと勉強しましたけれど。

それでは、ドクターになるまで結構時間がかかったのですね。

30歳を過ぎてから医師免許を取りました。

本当は医者じゃなくて本気でミュージシャンになりたいと思っていましたが、一応、医師免許だけは取っておこうかと。

今はあまり音楽活動ができていないのですが、いまだに印税が結構あります。昔はリアルのCDが売られていて、絶版になると収入がなくなってしまうのですが、ちょうど当時はデジタル配信の先駆けだったので、今でもコンスタントに売れています。

ドクターになられてからの経歴をお聞かせください。

私は宮崎大学医学部の出身ですが、医局には一切入っていません。大学を卒業して国家試験に受かったら麻酔科の医局に入局する予定でしたが、一度落ちたことで色々と考えるようになりました。また、ちょうど臨床研修制度が新しくなる頃だったので、2年間は医局に所属せずに研修を行っていました。

その間に地域医療に目が向き始めたので、結局医局には入りませんでした。医局に入らない場合は自分で研修を組み立てないといけないのですが、最初の2年間は県立宮崎病院という大学病院の次に大きいところで2年間初期研修を行い、その次に民間病院で3年間、内科で研修をしました。そして、内科の認定医が取れた後に夕張へ行きました。

夕張を選ばれたのはなぜですか。

次に行く場所は離島やへき地、本当のど田舎で病院がなくなってしまったような戦場のような場所でやってみたいという気持ちがあったのですが、その時に既に夕張にいらっしゃった村上智彦先生の著書を読んだことがきっかけです。

村上先生と直接面識はなかったのですが、ホームページ経由で事務局へ連絡をして、「そういう医者は必要ですか?」と聞いたところ「まずは見学に来い」とおっしゃっていただいたことでご縁ができ、翌年の4月から来ても良いということになりました。

最初の1年は契約でしたので、それが終わったら宮崎へ帰る予定でした。というのも、妻やその両親が大反対で1年だけなら、という約束だったからです。

そして、1年後に夕張から宮崎へ帰ったわけですが、その時には夕張の事情も複雑に変化していました。というのも、最初に行った年にはへき地医療や地域医療をやりたいという先生がかなり集まっていたのですが、1年終わる頃にはその先生たちが一斉にいなくなってしまったのです。

気がつけば私は宮崎へ帰ってしまいましたし、村上先生と非常勤の先生だけという状態になっていました。

私としては喧嘩をしたわけではないので助けたいという気持ちが強く、宮崎に帰ってからも月の半分は夕張へ通っていました。直行便はないので羽田乗り換えで、移動には半日かかりましたけれども。

そのような生活をしながら宮崎では救急のバイトもしていたわけですが、次はどうしようかと考えていたところ、夕張という田舎の地域医療を見たので今度は、都会の在宅医療を勉強したいと思い、在宅医療で有名な横浜の先生のところへ行く約束をしました。準備までしていたところ、ちょうど東日本大震災が発生したのです。ちょうどその日は夕張で仕事をしていたのですが、2日後には東北の支援へ行き、そこで2週間ほど活動をしていました。

震災直後は色々ありましたし原発も爆発しているので、その時点で関東に引っ越すという選択肢は消えることになったのですが、一方で、宮崎の救急は辞めることが決まっていました。

どうしようかと悩んでいたところ、妻が「もう夕張に行くしかないでしょ。本当は夕張に帰りたかった。」と話したのです。夕張にいたのは1年間だけでしたが、その時に周囲のおじいちゃんおばあちゃんにとても可愛がられていました。

夕張というのは山間部の農村地区ではなく炭鉱労働者の町なので人の出入りが激しく、外から入ってきた人を受け入れながら生活をしていたという背景があります。そのため、入ってくる人に対してあたたかく、自由にみんなで楽しくやろうという雰囲気がありますね。

今後は、患者さんの生きてきたストーリーをドクターが理解をして寄り添った古くて新しい医療が求められていると思っているのですが、先生はどうお考えでしょうか。

古くて新しいというのはその通りで、良い表現だと思います。昔は、医療技術も進歩していなかったので、本当に治療ができなかった時代があり、医者は無力で人生をどう終えるかという部分に重きがあったのだと思います。

しかし、医療で出来ることが増えてきて、救える命が多くなってきたからこそ、医学的な正解が非常に重視されるようになりました。一方で、それでも人間は必ず死ぬという事実を考えた時に、絶対に医学は通用しなくなる時がきます。

その時に、ずっと医学や医療の世界を貫き通していると、必ず破綻がきます。

それをどうやって処理していくのか、どう折り合いをつけるのかという課題については、ここ最近では医学的正解の方が重視されている風潮が強かったですよね。医学的正解だけが医療の正解だと。

だからこそ、延命治療のような一辺倒の世界にもなってしまいますし、医学の正解で言えば、死なないことが一番なので延命するに決まっています。

もうそろそろ、そういう世界から抜け出す時期にきているのだと感じています。高齢化社会も高齢多死社会と言われて久しいですし、そこに目を向けていくことが新しいトレンドに今度はなっていくでしょう。そういう意味では、古くて新しいという言葉はすごくいいですよね。

今は鹿児島にいらっしゃるのですね。

鹿児島はとても良いところです。東京ほどではないのですが、夕張から比べるとだいぶ都会ですし、在宅医療を見たいとずっと思っていたので、そのご縁でこちらに住み続けています。

先生は、ドクターの仕事に加えて医療経済ジャーナリストとしても活動されていますが、特に力を入れている分野があれば教えてください。

ジャーナリストとしての話になりますが、医者はあまり医療経済、特にマクロ的な医療制度の話は詳しくないので、そういう部分を考えて欲しいという気持ちはありますね。

どこも現場の医者は大変ですが、そういったことを話題にして生きていきたいと思っています。

最近、クリニックを作られましたが、こちらの目的やコンセプトを教えてください。

3つ目的があり、ひとつ目は理想的な医療と介護の連携の姿が見たいということです。

施設の皆さんは、介護を通じて看取りの最期まで完結するくらい介入していますよね。毎日ケアをしている人の方が人生に寄り添えるはずで、きちんと看取りのところまで付き添っているのです。

また、色々なことを若手に伝えていかないといけないというのが2つ目の目的です。今、地域枠もあって家庭医療に興味を持つ場合が増えていますが、誰もそれについて教えていません。ですので、若手に対しても教育をしていきたいと思っています。

さらに、お金をかけなくても開業はできるということを伝えたいですね。

私は無借金開業を企画しているのですが、やはり医者は開業する時にだまされてしまうので、それを阻止しなくてはいけません。コンサルに任せるとすごくお金を使わされるので、小さく始めて徐々に増やしていけば良いと思っています。最初にCTを購入するなど何億も借金をしてしまっては、不要な医療のオンパレードになってしまいます。

そういう医療が嫌いですし、都市部でもへき地でも、お金ができた時に居抜きでやるなどステップアップしていけば良いですよね。そのモデルを伝えたいというのが3つ目になります。

今はコロナで他の仕事が増えたので計画が頓挫していますが、本当は私が開業する時に毎日書いていた開業日記、麻薬の免許など細かい申請についても触れていますが、そういうものをアップしようと思っていました。コロナで他の記事を書かなくてはいけないので頓挫しましたが、今度、他の診療所を作る時に仲間を巻き込んでやりたいと思っています。

今回、出版された本について教えてください。

自分で出版社も持っているのでいつもはそこから本を出すのですが、今回は幻冬社から出版します。というのも、幻冬社の方が「今はコロナだからこそ、先生がいつも記事に書いているようなことをタイムリーに出さないといけない」ということで提案があったので、急いで書き上げました。

この本で最も言いたいことは医療経済についてです。そこに持っていくきっかけとしてコロナを使っています。

世界一病床数が多い日本で、本当はオーバーシュートなど言っている場合ではありません。病床が多いからクリアしなくてはならないはずなのに、全病床の2%ほどしかコロナに使っていないのが現状です。これは、医療を市場に任せていて、全ての病院が満床を目指さないと経営が成り立たないようなシステムにしているため、2%ほどしか病床をあけられないことに起因しています。

それらの根本などについて触れているのが、この本になりますね。

  日本の医療の不都合な真実 コロナ禍で見えた「世界最高レベルの医療」の裏側

 

今後のビジョンについてお聞かせください。

自分のクリニックを大きくしようとは思っていないけれども、このモデルをみんなに伝えていくことでゆるいグループを作ることができたら良いと考えています。そうすることで、借金せずにきちんと開業できるし、理念も持つことができます。

無借金開業のモデルも提供しますし、本も書こうと思っています。それをベースに家庭医療が盛り上がってくれるような全国組織ができるといいですよね。

まとめ

今回、森田先生に1時間しっかりお話をして頂き、分かったことは今の医療にはまだまだナンセンスな部分があり、それをきちんと修正していきましょうよというお話でした。先生はそれを様々な方法でアプローチし、変えていこうと尽力されています。

何か違和感がある時に、「いやいやそれは違うでしょ」と行動される方は意外と少ないものです。日本人の場合はたいてい、それを先延ばしにしたり、目をつぶってしまうことが多いと思います。

森田先生の活動はそういう意味でも常にストレートですし、即行動に移される。これからも着目していくべき方だと改めて感じました。

お忙しい中、貴重なお時間を頂戴し、ありがとうございました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

インタビュー:池上文尋

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