ドクターインタビュー

うむやすみゃあす・ん診療所 竹井太 院長先生インタビュー

今回は、宮古島で開業されている竹井太先生にお話を伺う機会に恵まれました。離島ではありますが、都市部のように脳神経疾患を専門にみる診療所をされているほか、島民の方々が安心安全な生活を送ることができるよう様々な取り組みをされておられます。

長らく、大学にて診療をされていた竹井先生が宮古島へ来られた経緯や、診療所を作ることになったきっかけについて教えていただきました。

竹井太院長先生です

 

ドクターになられたきっかけについて教えてください

一番のきっかけは、中学校の頃に観た映画です。筋ジストロフィーの話だったのですが、映画鑑賞会で出会ったことが印象的でした。

もともと、医者よりもインテリアデザイナーになろうと思っていたので、最初はそちらを受けようと考えていました。しかし、デッサンが必要など課題もあり、他の選択肢を探している中で、その映画がフツフツと思い出されてきたのです。そういった経緯があり、医学部への進学を決めました。

大学は、東海大学医学部の2回生になります。私は歴史のある大学へ入り、学閥の中で身動きの取れない生活はしたくなかったので、新設医学部であるけれど2回生であれば自分の手で大学を新しく作っていけると思い、そちらへの進学を選びました。

 

「うむやすみゃあす・ん診療所」という名称の由来についてお聞かせください

「うむやす」は、宮古島の言葉で「安心安全」を表しています。「みゃあす」は「気持ちがいいね、スッキリしたね」という意味です。

診療所に来て頂き、診療を受けて安心してもらい、心がスッキリして帰っていただくことのできる場所を作りたかったので、二つの言葉を合わせて診療所の名前にしました。

診療所の「ん」の意味は、宮古島では「んみゃーち」と「ん」から始まる言葉で最初のご挨拶をします。沖縄本島は「めんそーれ」、石垣島は「おーりとーり」ですね。そこで、人と人の最初のコミュニケーションが始まる大切な最初の言葉、「んみゃーち」の「ん」を借りて、診療所の名前に取り入れました。

 

宮古島へ来られる前は、ずっと病院で勤務されていたのでしょうか?

私の出身は大阪です。東海大学医学部の2回生で入り、それからずっと大学で20年間勤めていました。そして、45歳になったときに辞めようかと思い立ち、30分で退職することを決めました。30分というと簡単に聞こえるのですが、そこに至るまでには色々と考えることがありました。

当時、私は、2回生なので大学に残るべき卒業生だと思っていましたし、留学もさせていただき、高度先進医療の中で私も含め東海大学がどのような形で世界に広がっていくことができるのかを体験することができました。また、後輩たちを育てていく立場でもありましたので、退職なんて考えてもおりませんでした。

しかし、そういった日々の中である日、医療経済学というものが入ってきたのです。今もそうだと思いますが、要するに、病院を成り立たせるための医療経済がなければ、当時の大学病院は成り立たない時期に差し掛かっていたのです。例えば、患者さんに何日で退院していただかないと、病院は赤字になりますよといった考え方ですね。

外来で朝、コンピューターを立ち上げ、午後診療を終えるまで、何人の患者さんを診ることができ、売り上げを確認することで診療単価がわかります。実際にはあったわけではありませんが、「先生、この診療単価では先生のお給料は出ませんよ」という話が当たり前になる時代を迎えていたのです。

私はアナログの人間なので、人の命を計算するような場所にはいることができないと感じました。大学は好きで、高度先進医療には取り組むべきだと思っています。しかし、コストパフォーマンスを考えれば高度先進医療は成り立ちにくいですし、矛盾も出てきます。そろそろ、大学でアナログの医療を行うことは難しいかもしれないと思い始めた時に、たまたま宮古島でのオファーがあったので30分で決断し、45歳で宮古島入りしました。

思い返すと、夜間手術に入り、朝に医局へ戻った時にドクター向け求人雑誌が目に入りました。開いてみると、最後のコーナーに「宮古島、コバルトブルーの海、新規脳外科医求む」という広告が目にとまりました。その広告を見なければ、おそらくここに私はいなかったと思います。

そして、週明けに自宅を出る時に妻が「電話をしたの?」と後押ししてくれたおかげで、10円の電話代と引き換えに宮古島へ来ることが決まりました。

宮古島に診療所を作られたきっかけについて教えてください。

2001年当時、宮古島には脳神経外科医がいないということで、徳洲会が新設した宮古島徳洲会病院へいくことが30分で決まったわけですが、当初は55床くらいだったと思います、そしていずれ増床して90床(現在は、平成29年より99床)になるという話でした。離島でありながら、病床数のわりには標榜科も多く集められておりその気合を買って、一度も訪ねたことのない宮古島へ着任する事を決めたわけです。

当初、私は一兵卒として脳神経外科医として宮古島で勤務する予定でしたが、院長にというオファーといただいたので、新設病院の意気込みも感じられたのでお引き受け致しました。

しかし、蓋を開けてみると慢性的に人手不足で、私が新設病院のただ一人の常勤医で、その他のスッタフは非常勤の状態でした。加えて諸事情があって週に4日は300km離れた沖縄本島の本院の脳神経外科へ応援に行き、週に3日は宮古島の院長という生活がしばらく続きました。

でも、変なもので私は外科医としてマゾヒスティックだったらしく、どこまで耐えられるかを楽しむ傾向があった様で、宮古島入島当初の忙しさを難儀とは思わず、むしろ充実し楽しめておりました。その結果、年間50回ほどの公民館での医療講演会もスタッフの協力のもと実施もできて、宮古島に土着の準備が整っていきました。

ちょうどその頃、沖縄県立宮古病院への派遣脳神経外科医が引き上げることになり、宮古病院でお手伝いすることになりました。

結果的には、官民両方向から離島医療の体験をすることができ、島で必要な医療の展開として、専門性の高い慢性期の医療の充実を図る診療所の開設にいたりました。

なぜそう思ったのかというと、島の人たちは足りないものを足りたものと思って生活しているわけです。医療の面では全然足りていないはずなのに、足りたと思わなければ生きていけない。患者さんの遠慮の上に成り立っている医療が多く見られましたし、手術が終わってもアフターケアをする人が当時は、島ではまだまだ充実していませんでした。

急性期管理はしないといけませんが、医療のより良い完結には充実した慢性期管理も必要ですよね。一つの医療を完結するために、上手な手術の先生が100人いても、術後の管理をしてくれる看護師がいなければ手術はできません。そのレベルに達していなければ、ここで手術をしてはいけないと感じるようになりました。

これは、システムから変えていかなくてはいけない。おこがましいのですが、急性期にも関わっていたことのある私が慢性期のお手伝いをさせていただく事で、アフターケアはエンディングストーリーのところまでカバーすることができると思い、開業することにしました。それがちょうど、12年前ですね。

 

減圧症・高気圧酸素治療外来がありますが、ダイバーの方々も来院されるのでしょうか?

残念ながら診療所には減圧チャンバーがなく、積極的なお手伝いができずにおります。もちろんダイバーの方や、減圧症の方は診療所には来られますよ。宮古島徳洲会病院にはチャンバーが設置されていましたので、当時常勤医は私だけでしたので、宮古島へ来てから高気圧酸素治療専門医の資格を取り治療を行うようになりました。今は、その時の知識を使って外来を行っていますが、離島勤務医の悲しみでしょうか、外来をカバーしてもらえる医師がいないため、専門医の資格保持のための学会参加ができずクレジット不足で、専門医資格が無くなってしまいました。この点は、離島勤務医の解決すべき課題と思います。

 

宮古島の平均寿命や、島特有の疾患傾向について教えてください

沖縄県は日本で一番高齢化率の低い長寿県でしたが、2000年には男性が26位に、2015年には更に悪くなり36位に、女性は2005年まで一位を維持していましたが、2015年には7位に転落しています。このように短命化している沖縄ですが、その中でも、宮古島の男性は日本で一番短命化がすすんでおりメタボ数も高血圧も糖尿病も日本で一番多い島なので、医療面では不健康と言わざるを得ません。

みなさん、お酒はよく飲みます。それはそれで幸せではあるのですが、未来を見据えた幸せではなく、不幸になるパートナーや子供もいることを忘れないで欲しいと思います。それ自体は一つの疾病ではあるのですが、社会全体に危険をもたらす要因であるため、一つずつクリアしていかなくてはなりません。そのため、医者として働いていて、自分がやらなくてはならないことを見つけるには良い島ですね。

こちらでは、研修も受け入れています。東海大学の学生が6年時に2週間ほど滞在するのですが、その時に「どんな医者になるのか」ということを学生に問いかけています。

医者は治すことが前提で、治すために何をしたらいいのかということは教わりますが、なぜ治さなくてはいけないのか、なぜ健康でないといけないのかを提案する授業はありません。なので、私はここに来て気が付いたそのことを学生たちに伝えるようにしています。

後期研修医も年に2、3人ほど来るのですが、学生たちと全く同じことを伝えています。2週間という短い間で医療をわかってもらえることは難しいところ思うので、それよりもチャンスがあれば、病院勤務では体験できないサトウキビ刈りをしてもらい、患者さんの実生活に触れて頂くことにしています。

そうすると、サトウキビ刈りをする前に体操をすることの必要性や、終わった後にマッサージをした方が良いとか、実践に沿った指導することもできますし、そもそも病院に来なくていいような予防医学の話も提案できますよね。

宮古島では、平均年収200万円を下回るにも関わらず、医療費は日本全国どこでも同じなので、医療負担も多く生活をしてかなり圧迫しています。究極は、

予防医学を充実させ病院にかからないことをこの島の財産にしてうむやす(安心、安全な)に住み続けて頂きたいと思っています。

私は、今はなかなかできなくなっていますが、サトウキビ刈りを自分で体験をし、漁師さんと船にも乗り、街でお酒を一緒に飲みます。そこで得られる情報は、竹井の診療に大きな影響を与えています。やはり、実体験がなければ医者は口ばかりになってしまいますよね。

当院の研修医のメニューも2日間はほぼ全く何も前置きせず、外来の待合室で患者さんとひたすら何人と話すことができるかという体験をしてもらっています。皆、宮古島の言葉だからわからないというのですが、それでも目と目は合いますし、声のトーンで話し合いをすることはできます。

例えば、難聴や視覚障害の方が来た時にそのような言い訳はしないですよね。どのような条件であっても自分の世界に取り込んで、その方がうむやす(安心)して帰ってもらうためのスキルを持たなくてはいけません。そのために、どこまで短期間に患者さんの心の中に入る事が出来ているのか医師として自分で体験することが大切ですと思っています。

この研修でのコミュニケーションの先にあるミッションは2週間の滞在中に患者さんから晩飯を誘ってもらうことです。

最初はとても馬鹿げた話だと捉えていた学生、研修医も、だんだんとその真意がわかってくるようです。いかに患者さんと話をしたことがないか、いかに自分の気持ちを伝えることができていないのかを実感するのです。

最初に挨拶する言葉をどう切り出して、不安を取り除いてあげる事ができるのか。私は、身も心も治して初めて医療だと思っているので、体が治ったとしても先生が口も聞いてくれず医療不信があっては意味がないと感じています。分かり合えるからこそ命を預けてもらえますし、お互いに信頼して意見を赤裸々に話しができて初めて、精神的にサポートすることができます。

そうしなければ、誤解や、最終的には誤診を生んでしまいますので、研修に来られる人たちにはその重要性を伝えています。

私の座右の銘は、「生きて活きて逝き切る」です。

命を授かって育み、その生を活躍させ、時期がきたらそのまま逝こうという意味ですね。この事は、私たちが行なっている在宅医療の根幹です。この気持ちを理解しあえる時間を作る事ができると患者さんたちの満足度が違うような気がします。何か生きていた時の宝物を持って、逝って頂きたいというのが私の願いです。

 

チーム医療をする中で工夫されていることはありますか?

人が増えれば、増えた分だけ大変ですね。当初、8人でスタートし、いまは30人ほどスタッフがいます。10人、100色です。院長が色々と言わない方がいいと思ってはいますが、ついつい。大切な事は、診療所のベクトルと職員のベクトルをいかに目的を持たせながら合わせて行くかが課題です。

離島では、人の定着も難しいですし、島外の人と島出身の人では考え方が違う事も多く、価値観の統一を図る事が難しいことが多いです。一人の欠員がチーム医療に大きく影響しますし、都会と違って欠員補充は困難なことも多く、一部署を閉めざるを得なくなる事もあります。いかにいい人材に巡り会い、育てられるかが課題と思います。今の事務長はその点を充分汲んでくれているので助かっています。現在、診療所は、一般外来だけではなく、認知症疾患医療センター連携型、重度認知症デイケア、居宅介護支援事業所など多機能で運営を行なっており、職種が多いため、その調整に多くの時間が割かれてしまうのが現場です。といっても、仕事は楽しくないとやれませんよね。職員一人一人が、チーム医療の楽しさを共有してもらえることが大切なのではないでしょうか。その為には「語り」ます。あとは、あたりまえのことですが、職員の家庭環境に配慮して仕事が続けられるように支援はしています。お子さんがいても働きやすい職場作りに心掛けています。一方、ありがちな独身職員に多くのしわ寄せが来ないような調整にも心掛けています。お互い様を職場の当たり前として、チームワーク作りを行なっています。

 

認知症カフェなどもされていますが、今後もいろいろな取り組みをされていくのでしょうか

私がこの島に来て育ててもらい、いろんな方と知り合えたのはイベントがきっかけでした。ミュージックイベントで医療班をやってみたり、三線を習っていたので盆踊りの前座で出てみたり。

当初、脳神経外科医なので認知症は診ていなかったのですが、診療所のモットーが「目の高さを同じにした喜怒哀楽を共にできる肩の凝らない敷居の低い医療」ですので、よろずなんでも見て診る科、とりあえず聞いて診る科としては、ついつい触手を動かしてみると、島にあふれそうな勢いで認知症の方が増えてきていることに気がつきました。このペースでいけば、数年で溢れてしまうと危機感を持ち深く関わるようになりました。

そこで、沖縄は当時唯一、認知症の家族会がなかった県でしたので4、5年かけ発足準備を行い、宮古島で家族会を立ち上げました。また、認知症初期集中支援チームを診療所で立ち上げ認知症支援をを行なっています。

その後、県から認知症疾患医療センター受託のオファーがありそれを引き受け認知症支援に関してはそこから本格的にスタートさせました。

今後はこの10年間の認知症支援経験を生かして、「離島認知症支援ネットワーク」作りの妄想を広げて行きたいと思っています。

最後に、伝えたいメッセージがあればお願いします

願わくは、皆さんが医療や介護、福祉をされている中で、許されるのであれば1年間くらいは離島や山間へき地へ来ていただき、医療の現場を体験してもらいたいですね。自分の足りているところ、足りないところを知ってもらい、良いところを伸ばして頂く機会にしていただきたいと思います。本音は、当地で末永く来ていただきたいと念願していますよ。

今、宮古島24Rプロジェクトという取り組みを行っています。これは宮古島に来てリフレッシュし、自分の人生を一回考え直そう、巻きなおしましょうというものです。再び、復活を意味する24個の「Re(Respite、Reset、Recreate、Recover、Reform、Reconsider、Retry、Revive、Rewinding、Refresh、Refill、Resuscitate、Reproduce、Readjust、Reappear、Recap、Rearrange、Reassemble、Recapture、Reconfirm、Reconstitute、Reborn、Rebirth、Restart )」を目標に、自分にあったことばを選んでいただき、自分らしく誰にも遠慮なく自分を楽しみ「生きて活きて逝ききる」ことのお手伝いが、ここ宮古島で出来ることを楽しみにしています。

 

ぜひ、宮古島においでください。

んみゃあち宮古島。

たんでぃがあたんでぃ(ありがとうございます)

 

<まとめ>

いかがでしたでしょうか。

宮古島は離島の中では比較的、大きな島ですが、やはり都市部と比べると医療では数多くの足りない面を抱えています。それを当たり前と思うのではなく、健康で安心して過ごすためには何が必要なのか一緒に考えていただける竹井先生は、島の多くの方々を救っていらっしゃるのだと感じました。

また、機会を作って実際に宮古島を訪れたいと思います。竹井先生、貴重なお時間をいただきありがとうございました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

 

<関連サイト>

うむやすみゃあす・ん診療所

https://www.miyakojimakara.com/pg2.html

 

沖縄県認知症疾患医療センター うむやすみゃあす・ん診療所

https://www.facebook.com/miyakojima.dementia.center/

 

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