ドクターインタビュー

Drコトーの島で行われる新しい取り組みと記者会見について ~下甑島に新しく赴任されるのは、離島・へき地医療に尽力されている合同会社ゲネプロ代表の齋藤学先生~

今回は、先日行われた「地域医療体制構築に関する連携調印式」において、合同会社ゲネプロ代表の齋藤学先生が話された内容をご紹介いたします。

合同会社ゲネプロでは、これまで離島やへき地で活躍したいという医師をサポートする活動をされていましたが、今回は齋藤先生自らがDr.コトー診療所の舞台として知られている鹿児島県薩摩川内市の下甑島で診療をされることになりました。

齋藤先生が、調印式でどのようなメッセージを発せられたのか、そして、その想いなどを少しでも皆さまにお届けできればと思っております。

<齋藤先生のコメント>

もし、仮にこれが記者会見で「今の気持ちはどうですか?」と聞かれたなら、メジャーリーグに挑戦する大谷選手のような気持ちだと答えたいですね。

離島医療は、私たち医者にとってはなかなかハードルが高く、チャレンジしたくても勇気が出ない、そんな場所です。ただ、ゲネプロ活動をやっていて、医者になった以上は、いつかはチャレンジしてみたいと思う若手、ベテランの先生が実は多くいるということがわかりました。

だからこそ、私たちゲネプロがまず、下甑島の診療所でのタスキをしっかりとつなげるようにしながら、人が集まる場所を作っていきたいと思っています。

もちろん、医療というのは離島の方々の安心のためにあると思うのですが、行政とタッグを組まずして持続可能なものにはならないので、そこはしっかりと連携できるようにしたいですね。

とは言え、私たちがいきなり行って島にマッチするような医者になれるわけではないので、少しずつ住民の方のニーズに合うような医療を提供していきたいですね。同時に、私たちで対応できないようなことは、遠隔医療やドクターヘリなどを用いて連携を取っていきたいと思っています。

ゲネプロが始まって5年が経過しましたが、これまで「離島・へき地で戦える医者になる」「離島・へき地で戦える医者を育てる」「離島・へき地で戦う医者を支援する」という三本柱を掲げてきました。そして、実際に始めてみて、2番目と3番目はどのように実現したらよいのか、少しずつわかってきました。

今、足りないのは1番目です。私自身が離島で戦える医者になること。

私は、医者として10年目で鹿児島県徳之島の病院に勤めました。そこで色々と経験して自信をつけたつもりですが、実力は十分ではなく、悔しい思いもたくさんしたので、そこから10年後の20年目という節目の年に下甑島にチャレンジできるというのは、これ以上ない喜びです。

しかし、下甑島だけが良い医療になればいいということではなく、日本には今、400以上の離島があります。そして、日本だけではなく世界の離島においても抱えている問題は一緒だということが、世界離島医療シンポジウムの開催を通して実感しました。

どこも、医師の確保と定着が必要不可欠ですし、教育のないところには人が集まらないので、島でゆっくりとやっていきたいと思っています。

世界的にみてそこの土地に20年、30年もいて診療を行うというスタイルは、今の時代では難しいかもしれません。新陳代謝というか、そこの地域でニーズのある医者になるために、島外での学びの時間も作り、そして、また戻ってくるというサンドイッチができないといけないと思っています。

そこの土地で診療をし続ける先生というのは200点ではありますが、急にいなくなってしまったなら、評価は0点です。そうではなく、80点でも良いので持続可能な体制にする必要があります。そして、ドクターが循環する仕組みを作りたいですね。

私たちも、一度離れたら終わりではなく、離れても循環できるような仕組み作りを進めていきたいですし、それが住民にとって良い形ではないでしょうか。

離島にとって難しいのは、限られた資源、人材でやらなければいけないことです。野球で言えば、飛んできた球を全てフルスイングしなければならないのですが、反面、やりがいはあります。

ただ、セーフティネットがなければフルスイングできないので、その部分を遠隔でサポートしていただく。要するに、島民の方々が危険にさらされないように、医師がバッドを思い切り振れるような環境を作りたいと思います。

また、専門外の疾患を抱えた患者さんをいかに安全に診るかということが、総合診療医の使命ではないでしょうか。そのため、ゲネプロでは、様々な場所で患者さんを診るトレーニングをしています。

ゲネプロが具体的に何をやっているかというと、オンラインで40回レクチャーをし、技術を補完する場として年に2回は都会に集まってワークショップを行なっています。さらに、指導医が離島やへき地に来て指導するという教育も取り入れています。

できることなら、医学部に入る前の段階から離島を目指したいという人にも見学に来てもらえるような環境も作りたいですね。

今までは、離島やへき地医療を点で支えていましたが、これからは面で支える時代、医療になってくると思います。だから、一つのチームとしてどこか一箇所にベース基地を置いて、サテライトのような形で循環をしていくという形の方がお互いの強みが発揮しやすく、支え合いやすいので高い医療を提供できます。

さらに、島に入ってくる若手にとっても、一人で支える時代はもう辛いので、チームで支えることで休みも取りやすく、勉強にも行きやすい環境を作ることができます。災害の時は応援する医師がたくさん来るのですが、離島の医師が倒れた時には応援する医師が来る仕組みは、まだ十分にできあがっているとはいえません。

何かをやるためには、まずそこに居続けること、そのために息切れしないよう肩の力を抜いていけたらと思っています。

<まとめ>

私は偶然にもDrコトーのモデルである瀬戸上健二郎先生が定年で島を離れる前日、齋藤先生と共に下甑島に訪問し、取材をさせて頂きました。

その時の瀬戸上先生の少し寂しいような、そして責務から離れることのホッとした感じを忘れることはできません。離島の医師の仕事とは責任重大なんだなと改めて感じた瞬間でした。

あれから3年が経過し、今回、齋藤先生が手打診療所の所長になるというニュースを耳にした時に正直、凄いことが起きるかもしれないと思いました。

齋藤先生は手打診療所の研修や代診を行ってきた卒業生であり、院内のスタッフや島の方々とも旧知の仲であります。手打診療所が全国の離島やへき地医療に与えてきた影響も良く知っている方です。

その方が離島医療のメッカのような場所へ赴任するとなると、また、様々な企画や研修が現実化されるのではないかということです。

コトー先生を養成する場所がこのような形に結実したことはワクワクを増幅させます。

今はコロナで身動き取れないですが、落ち着いた時にはまた訪問して、続報をお届けしたいと思います。

  • 関連サイト

手打診療所

https://kokuhoren-kagoshima.or.jp/shinryo/653

合同会社ゲネプロ

https://genepro.org

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