ドクターインタビュー

名瀬徳洲会病院 小田切幸平先生インタビュー

今回は鹿児島県奄美市にある名瀬徳洲会病院の産婦人科医、小田切 幸平先生にお話を伺うことができました。

病院内で唯一の産婦人科医として活躍されているとともに、遠隔診療を用いた医療にも積極的に取り組まれており、学会などでも発表されていらっしゃいます。

元々は、奄美群島のご出身ではなかった小田切先生が、どのような経緯で離島に来られたのでしょうか。離島に対する思いや医療について、たっぷりと聞かせていただきました。

それでは、インタビューをどうぞご覧ください。

小田切先生です

●ドクターになられた理由をお聞かせください。

私が医者になった経緯については、性教育を島の子供たちに教える時によく話をしています。小学生や中学生というのは、ちょうど将来の夢について考える時期ですよね。そういった子供たちへのアドバイスも兼ねて、私の経験も話すようにしています。

もともとは、小学生くらいの頃から牧場や酪農の仕事をしたいと考えていました。中学校に入って夢が固まり、第一志望を帯広畜産大学、第二志望を酪農学園大学と決めました。そして、長期の休みの時には、知り合いの牧場主さんのところで住み込みで働いていたりもしたので当然、そのまま酪農の道へ進学するつもりだったのですが、高校3年生の夏に弟が白血病になってしまいました。

弟とは兄弟喧嘩ばかりで仲はそれほど良くなかったのですが、病気の話を親から聞いた時、条件反射的に「医者になって弟を助けたい」と思いました。受験まで残り半年しかなかったのですが、進路を医学部に変え、本当に死に物狂いで勉強して浜松医大に合格することができました。

だから、本当は小児科医として、白血病の治療や開発に携わりたいと思っていました。しかし、その当時は骨髄移植や骨髄バンクも盛んではありませんでしたので、結局、大学1年の夏に弟は亡くなってしまったのです。

そのため、私は将来の進路が見えなくなり、大学を一年間休学して、ワーキングホリデーで海外へ行くことにしました。

●ワーキングホリデーでは、どのような国へ行かれたのでしょうか?

ニュージーランドがちょうど牧場が盛んな場所ですので、そういうところを見てまわるのもいいかなということで最初に訪れました。留学といっても語学学校には行かず、3ヶ月ほど寿司屋で働いてお金を稼ぎ、残りの期間はヒッチハイクでニュージーランドを一周していましたね。

そして、残りの1ヶ月ではネパールへ行きました。

ネパールでは、アポなしで病院を見学させていただき、妊婦さんや赤ちゃんが亡くなっていくのを目の当たりにしたので、周産期医療の大切さを感じました。

こういったことを子供たちにも話すのですが、そのときに「人生は何があるかわからないし、レールが敷かれているわけではないから立ち止まる勇気も必要だよ」ということを伝えるようにしています。

●先生は浜松医科大学を卒業された後、自治医科大学の医局を選ばれていますが、その理由をお聞かせください。

研修医として、スーパーローテートをしたいという考えがありました。

当時は、スーパーローテートができる病院が非常に限られていて、その中の一つが自治医科大学でした。そこで、自治医科大学の一般内科コースに入り、3年間の初期ローテート後、消化器内科に入局するつもりでした。

産婦人科の受付です

 

●しかし、今は産婦人科を選ばれていますよね。そこで、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

ローテートで一番、最後にまわった診療科が産婦人科でした。

それまで、内科をまわっていた時に指導医の先生はいらっしゃったのですが、あくまで形式上のもので雑用ばかりでしたので、あまり面白さは感じていませんでした。

しかし、最後にまわった産婦人科では医局の机に座っている暇もない、教科書を読む暇もないという状態でした。私は大学時代に空手をやっていたのですが、体で覚えるということが空手と一緒だと思いましたし、そういうところに魅力を感じて自分に向いているのかなと。

それで、そのまま産婦人科に入局しました。ただ、学生時代から海外医療にも興味がありましたので、へき地や離島にも何かしらの形で携わりたいとは考えていましたね。

●奄美大島に来られたのは、そのような思いがつながってということでしょうか?

本当は、産婦人科の専門医を取得した後、国境なき医師団などを通して発展途上国で働きたいと考えていました。その矢先に、たまたま人伝てで徳洲会の方から、奄美群島の産科医療が大変なので一度、見学に来てくださいと言われまして。それで、見学することにしました。

そのときに5つの島を全てまわった中で、一番衝撃的だったのが、沖永良部島です。
そこでは、80歳の先生が一人で産科医療に携わっていらっしゃったのですが、本当にふらふらになりながら仕事をされているのを目の当たりにしました。結局、最後はお病気で亡くなられましたが、最後まで産科医として人生を全うした姿が印象に残っています。

その先生が体調を崩された時などは私が応援に入ることもありましたが、日本にそのような状況があるなんて、それまで全く知りませんでした。日本にこんなところがあるのなら、海外へ行っている場合ではないと強く感じ、奄美で働こうと思いました。

私には子供が3人いますが、こちらに来たときはちょうど一番上の子供が4歳、そして2人目が生まれて間もなくのことでした。3人目はこちらで出産したのですが、妻も助産師なので3人目は妻自身で取り上げるのを、私が側で見ているという感じでしたね。

●奄美へ来て、いまはどのようなお気持ちでしょうか?

こちらに来た経緯を思い返すと、色々な人のつながりで今があるのかなと思います。

奄美に来て10年経つのですが、正直に言うと最初はこんなに長くいるつもりはなくて2、3年くらいを想定していました。また、一人で行っているので思い詰めるような時期もあったのですが、今は離島で産科医療を行うことにやりがいを感じています。離島発信で取り組みをすると、同じことを本土で行うよりも皆さん注目していただけるので、そういった意味ではとてもやりがいを感じていますね。

ご出産された方へのスペシャルメニューです

●先生は、遠隔医療も積極的に導入されていますよね。

当院では、モバイルCTGという在宅モニタリングのシステムを導入しています。

要するに、携帯型の胎児心拍モニターを妊婦さんに貸し出しをして、自宅でつけていただき、その状態をインターネット回線で私のスマホやパソコンでチェックすることができるというものです。病棟にいる方に対して使うこともありますね。

システムとしては開業されている先生も取り入れられていると思いますし、それほど目新しいものではありません。私がもう一歩先にいきたいと考えているのは、遠隔超音波診断です。

離島という土地柄もあり、私は超音波診断については特に気をつけてチェックをしています。それは、心疾患などはやはり気をつけてみていないと、島でそのような疾患をもつ赤ちゃんが生まれてしまったら、まず助けることができないからです。加えて、他病院との連携体制も考えていかなければいけないですね。

●そのほか、力を入れていらっしゃる分野はありますか?

私の中で考えている、3本の柱というものがあります。

ひとつめは遠隔医療、そしてもう一つがシミュレーショントレーニングですね。

そして、最後が医療講演、すなわち地元の子供たちへの講演です。その3本の柱で離島の医療を盛り上げていこうと思っています。

その中でも、特に力を入れているのがシミュレーショントレーニングです。

救急の蘇生や新生児蘇生法であるNCPRなど、様々なシミュレーションコースがありますが、多くの方が受講して満足してしまうという傾向がありますよね。

当院には小児科の先生がいませんので、新生児蘇生はスタッフ全員ができていないといけないという考えのもと、毎日トレーニングを行っています。

勤務の終了後に20分ほどかけて行っているのですが、それに加えて、月に1回は大きなシミュレーションコース、例えば、妊婦さんが心肺停止したときのケースなどを60分から90分くらいかけて行っています。

そういったトレーニングの積み重ねにより、いざというときにも対応できるようにしています。

お産の部屋です

 

●コウノドリという産婦人科を題材としたドラマがありましたが、その影響などはありますか?

あのドラマの中に隠岐の島が出てくる場面があるのですが、そのモデルとなった加藤一郎先生はとても熱い方で親友のような存在です。奄美にも何度も来てくださっていて、同じ年ですし、奥様も助産師であるところも私と似ています。

私にとっては、良きライバルで盟友ですね。

彼は自治医科大学の卒業なのですが、もともと総合診療をしていたので産婦人科ではありませんでした。

しかし、隠岐の島で産婦人科が撤退するというときに産婦人科の研修を積んで現在は産婦人科医としても活躍されています。

コウノドリのドラマの影響もあり、産婦人科医や助産師になりたいという方が割と最近、増えているという印象はありますね。私自身も医療講演をしている理由として、島からそういった職業を目指す学生が出て欲しいという気持ちがあります。

実際に、今から7年前に中学2年生だった子が私の話を聞いて産婦人科医になりたいと言ってくれ、今年医学部に合格しました。

長い道のりでモチベーションを保てるかどうか難しいところではあったのですが、私も色々な研修会で紹介したりするなどモチベーションの維持に尽力し、無事に合格できたことは本当に嬉しいですね。

彼女は徳之島出身なので、最終的には一緒に奄美群島の産科医療を盛り上げられたら嬉しいです。子供たちが最終的に島に戻ってきて、一緒に働いて一人前になってくれるまでは、なんとか島にいたいと思っているところです。

●先生のお子さんは、医療に興味を持たれていらっしゃいますか?

中学校2年生の子供がいるのですが、この子が産婦人科医を目指しているところです。小学校1年生の頃からずっと言っていますね。

夫婦共働きなので、子供だけで家で過ごさせることもありましたし、運動会や授業参観を見に行けないということはしょっちゅうなのですが、そういった中でも親の背中を見てくれていたのかと思うと嬉しいですね。

お産の部屋の照明になります

●離島医療というと、どうしてもお産に目が行きがちですが、筋腫や不妊治療など他の婦人科疾患も多いのでしょうか。

不妊症治療のニーズはそれなりにありますね。絶対数からいうとそれほど多くはないのですが、子宝の地域なので、なかなか妊娠しない女性はいろんなプレッシャーを受けて肩身の狭い思いをしている方が多いものです。当院でも人工授精まではしていますが、なかなか妊娠に結びつかないこともありますね。

こちらではタイミングと人工授精までは行いますが、本当に初歩的なレベルですし不妊治療もどんどん進歩しているので、その辺がまだ勉強不足かなとは感じています。

また、婦人科疾患も初歩的なところだけは行いますが、ガンの疑いがある場合などは大きな病院を紹介しています。

●他院との連携は、どのように取られているのでしょうか?

私は他の土地から来ましたので、最初はあまり良く思われていないのかなと思っていましたが、実際にはとてもやりやすいですね。搬送や患者さんのやりとりについてもスムーズですし、無理に断られることもありません。

以前、勤務していた本土の病院では、搬送先の確保がとても大変でしたが、搬送手段はすぐに決まりました。しかしここ奄美では、特に島外搬送の際、搬送先の確保はすぐに決まりますが、搬送手段の確保がとても大変です。そんな中、同じ島内のもう一つの分娩機関にはいつもたくさん助けていただいており、感謝の思いでいっぱいです。

●今後は、離島でどのような医療が望まれると感じていらっしゃいますか?

日本では、産婦人科医がお産をしていますが、アメリがでは家庭医の先生が行っています。私も初歩的な内診やガン検診、妊婦検診などはジェネラルな方に診ていただいてもいいのかなと思っています。

特に、妊婦検診はそういう先生に診ていただくほうが、私たちも気が付かない視点に気付くことができるのではないかと感じています。

必ずしも、エコーができることが妊婦検診の目標ではありませんし、意外と、妊娠中に産婦人科医が見逃す疾患もあります。つわりだと思っていたら胃ガンであった、甲状腺疾患を見逃していたということもありますので、垣根がどんどん低くなってもいいのではないかと思っています。

●こちらの病院では、年間どれほどの分娩があるのでしょうか?

今から4年ほど前がピークで、年間280件でした。そのときは、お産が重なることもありましたし、スタッフも足りなかったので、現在は月の分娩数が20件を超えないようにしています。年間でいうと、200から230件ほどですね。

それでも、限られた人員なので、結構きついです。しかし、やはり全国の離島で最大の人口規模にある島にある当院は、まだまだ産科診療を続ける必要性があると感じております。

●話は変わりますが、いまのMRについて思うところがあれば教えてください。

昔は医局の前にずっと立っていて声をかけられましたし、一緒に飲みに行くことで色々な話ができましたが、今はそういうことはないですよね。MRと接する場面はほとんどなくなりましたし、情報を仕入れたいときには簡単にネットから取り出すことができますしね。

もちろん、サポートなどをしてもらえるということであれば有難い話ですしウエルカムなのですが、遠慮しているのか積極的にはないですね。

●最後に、これだけは伝えたいということがあればお願いします。

私は、奄美群島は日本の縮図だと思っています。奄美大島が本州、喜界島が北海道、徳之島が四国、沖永良部島が九州で与論島が沖縄ですね。ちょうど5つ島があるので、そこで遠隔医療を含めた様々な取り組みができれば、将来の日本にフィードバックできるのではないかと考えています。

現在、取り組んでいるモバイルCTGについても4年前の産婦人科学会で発表した時に優秀演題に選ばれたことがあるのですが、そういった臨床の研究が他の地域や将来の役に立てば嬉しいですね。

 

●まとめ

今回は、奄美大島で活躍されている小田切先生に、離島の産科医療を中心としたお話を伺うことができました。

本土と離れているからこその苦労も多々ある中で、意欲的に離島発信の取り組みをされていらっしゃる姿勢には本当に頭が下がります。遠隔医療などは、少子高齢化が急速に進む日本において、これから重要視されるべき課題のひとつですので、ぜひこれからも新しい試みや全国に向けた情報発信を期待しています。

小田切先生、貴重なお時間を頂き、ありがとうございました。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。

 

<参考サイト>

名瀬徳洲会病院 産婦人科

https://www.nazetokushukai.jp/section/gynecology/

 

プロジェクト応援ストーリーvol.4〜小田切幸平先生

https://readyfor.jp/projects/jpc2017/announcements/59142

 

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