ドクターインタビュー

奈良県知事選に立候補された川島実先生インタビュー!

今回は長年、地域医療に携わっていらっしゃる川島実先生にお話を伺いました。先生はこの春に予定されている奈良県知事選に立候補されています。

川島先生は京都大学医学部のご出身ですが、在学中にプロボクサーとしてデビュー。その後、プロボクサーとして数年を過ごしてから農業にも従事されています。

東日本大震災後には気仙沼の病院にて診療にあたり、奈良に戻られてからは僧侶になったという、実に様々なご経験をされていらっしゃる方です。

今回は、ご自身のこれまでや地域医療の魅力について、そして、知事選への立候補の経緯について聞かせていただきました。

 

医師になったきっかけを教えてください。

当初は医師になろうという気持ちはなかったのですが、母親が高校三年生の時に倒れてしまったことが大きく影響しています。

母親は、私が学校で良い成績を取ると喜んでくれたので、それで一生懸命に勉強をするようになりました。実際に、医学部へ合格した頃には、そのお陰か母親の病気が治ってしまったようです。

 

医学部在学中のボクシングへの傾倒について、どんなことで才能に気付いて伸ばされたのでしょうか?

気付いたというよりも、大学の部活で始めたからという部分が大きいですね。

高校生の時も部活人間でバレーボール部に所属していたのですが、主将をしていた頃に全国大会まで進出しています。それほど大きい大会ではありませんでしたが、進学校でしたので主力メンバーが高校二年生になった頃から通塾のために抜けていきます。そんな中、私は高校三年生のインターハイ予選まで続けていましたね。

中高生の時にボクシングの辰吉丈一郎の熱狂的なファンが仲間にいたので、よく彼に連れられて大阪城ホールへ試合を見に行っていました。それでハマってしまい、実際に初めてみたらボクシングが合っていたという感じですね。

東日本大震災の時に他の人が逃げたのに、自分だけその病院から逃げなかった信念について教えてください。

医者って何?と聞かれた時、私は逃げないものだと思っています。

普通は誰かが血を流して倒れていたり、痙攣していたりすると関わり合いにならないようにしますよね。そこで逃げないのが、医者の仕事だと考えています。

特に、私は徳洲会で離島医療を勉強していたこともあり、私が逃げたら後に診る人はいない状況だったことも大きいですね。

 

片道4時間の通勤を、どのように耐えたのか教えてください。

気仙沼でボランティアをしていた頃は、木曜の仕事が終わってから向かい、金曜日に外来をしてからその日の夜に帰ってくるという生活をしていました。

後に院長になってからは、月曜の朝に病院へ行き、金曜の夜に自宅へ帰って週末は休み、また月曜の朝に向かうという流れでしたね。

夏の通勤は快適ですが、冬は大変でした。でも、やはり日本の四季は素晴らしいので、そういったところに楽しみを見出せる人でなければ続かないと思います。それでも、車は2台ほど廃車にしましたが。

 

日本全国の様々な病院に行き、色々と経験されていると思いますが、印象に残っている病院はありますか?

やはり、初期研修はカルチャーショックがすごかったですね。その後の人生が変わったと思います。

その時の研修先は、大学のボクシング部の先輩が研修をしていたこともあり、沖縄の中部徳洲会病院で行いました。

離島研修は300床に対して常勤医が院長と内科医1人という病院で、その一角を初期研修医が担うという大変責任あるものでしたが、とても楽しかったですね。

そこで夜、一緒に食事をした外科の先生が、医者の仕事は逃げないことだとおっしゃっていたことが心に響いています。何年かぶりに、Facebookで再会をしてその話をお伝えしたところ、酔っ払って何も覚えていないと言われましたが。笑

 

途中で農業をされていますが、それはどんな理由からでしょうか?

ボクシングを引退した時、食べるために働くのであれば食べるものを作ろう、と思ったからです。その時、医師の仕事はしていませんでした。

一年目の秋に米を1トン収穫できたので、これで生活できるのではないかと考えたのですが、現金に換算すると50万円ほど。年収が50万円ではとてもやっていけないということで、医師免許を活かそうと考えました。

今では、一家の大黒柱は妻です。

結婚した頃は、妻のことを嫁と呼んだこともありましたが、色々あってからは彼女が御上だと気がつき、最近では神様だと思って拝んでいます。語源的にも近いと思うのですが、我が家の場合は御上であり、神様ですね。

 

僧侶の資格も取られたとのことですが、その心を教えてください。

東大寺で僧侶の資格を取りました。

もともと、東大寺学園の出身で宗教教育はなかったのですが、経営者がお坊さんなので始業式や終業式にはお坊さんがちょっといい話をしてくれていました。そのため、僧侶に対して親和性のある育ち方をしているのだと思います。

かつて、私が医師の道へ進んだ当初、亡くなったはずのおじいさんが詰所の前を夜中に歩いている、毎晩、おばあさんが夢に出てくるという時期がありました。

その時は、疲れているからだと思ったのですが、ちょうど沖縄で研修をしている期間に父方と母方、両方の祖父が立て続けに亡くなりました。忙しさもあり死に目にはあえなかったのですが、お葬式や法事に参加する度によまれていたお経が気になり、これは何ですか?と聞いたら、僧侶の方が般若心経だと教えてくださいました。

思い返すと、父方の祖父が時々、お仏壇にお経をあげていました。それからは、自分が関わった人が亡くなった時、供養のつもりで医局のパソコンの前でインターネットを参考にしながら、コピーの裏紙に般若心経をボールペンで写経し始めました。

そうすると、夢で亡くなったおばあさんが出てこなくなり、お経というのはすごいものだと実感するようになったのです。

以後、習慣として何かあったら般若心経という気持ちが芽生えていました。

東日本大震災後、今は住職になられた東大寺学園の時の先輩が、生徒を連れてボランティアに来ていました。お寺に泊り込みしていたのですが、私は近くで働く先輩社会人として、そこで話をするということが何年か続きました。そして、縁あって僧侶にならないかと声をかけていただいたのです。

私自身も般若心経の素晴らしさを感じていましたので、有難い話だと受けることにしました。

僧侶になるためには、2泊3日の研修が必要です。同期は16人で、みなさん社長やお寺の後継者の方ばかりでしたね。

僧侶になり、一番変わったことは神社や寺へ行き、手を合わせて頭を下げる回数が格段に増えたことです。私自身は他に仕事もあるので、お寺で掃除をし、お経をあげる機会はありませんが、世のため人のために働くことが、大仏様の供養になると考えています。

今回、一番聞きたかったことですが、なぜ奈良の知事選に出ようと思ったのでしょうか?何か大きなきっかけとなるようなことがあったのでしょうか?

色々あったのですが、一つは県政を変えることで大仏様の供養になるのではないかと考えたからです。

私は地域のボランティアやPTAに携わっていますが、近隣の小学校が統廃合の対象となっています。それを残すべく行政と話をしていている時、コミュニケーションが成立しないということを強く感じました。

こちらが何を言っても、向こうの返事が変わらないのです。

私は、院長としてパワハラの勉強をする機会があります。自分の変化を相手に伝えないコミュニケーションをハラスメントと習うのですが、やはりこれは傷つきますよね。行政とのやり取りの中で、そのことをまざまざと体験しました。

また、県立高校の再編や奈良公園にリゾートホテルを建てるという計画も持ち上がっています。どの問題も、関係者は火がついたように怒っているのですが、これは結局、行政の住民や当事者に対する説明、対応が不十分なまま国からの政策を現場に押し付けていることから始まっていると考えています。

どうしたらいいか考えあぐねていたところ、奈良公園のリゾートホテルの開発の問題で、関係者の方が「来年の知事選挙で知事を変えないと、事態は変わらない」と話していたことを耳にして、そういう方法があるのかと思ったのです。

 

離島やへき地で働く医療関係者にメッセージがあればお願い致します。

離島医療はとても面白いですよね。街にはない、素晴らしいところが無限大にあると思うので、自然の中で生きている人間の輝きや自然そのものを最大限に楽しんでもらいたいですね。

私の言葉に説得力があるのは、気仙沼が大好きだからです。この世のユートピアだと思っています。

 

<まとめ>

いかがでしたか?

ドクターとしてのみならず、様々な思いを抱えて地域社会にも深く関わっていらっしゃる川島先生だからこそのお話を聞くことができました。

地域医療の魅力や面白さを最大限に感じられながら、日々診療されている光景が眼に浮かぶようです。

これから奈良のメディアに取り上げられることも増えてくると思いますが、元気に選挙戦を戦って欲しいと思います。

これからのご活躍も期待しております!

 

<関連サイト>

対話でつなぐ奈良の会

https://www.taiwanara.com/

川島実 後援会

https://www.facebook.com/teamkawashima/

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